伝説の編集者マシリトが掲げる「マンガにおけるキャラクター第一主義」は正しいのか?
先日、こんなインタビュー記事を発見。
興味深い話はたくさんあるが今回ピックアップするのは4ページ目のこの部分。
「いや、ストーリー作りに時間をかけても、意味なんかないよ。大事なのはキャラクターだね。」
プロアマ問わず漫画家であれば思わず反論したくなるこのセリフ。
本当に正しいのかどうか考えてみる。
◾️創作全般を見渡して、小説との違いに着目
考えを巡らせる中で、マンガと小説の「読み方」の違いに着目してみた。
小説の読み方・・・主に文字から情報を得て、そこから読者が想像を働かせた上で理解する。
↓
読者が目に入れるのは「文字」
マンガの読み方・・・コマに描かれた情報から、描かれている状況を理解する
↓
読者が目に入れるのは「絵」+補助的にセリフやナレーション
例えば「メロスが激怒するシーン」の場合
小説なら「メロスは激怒した」という文字を見て、
マンガであれば、「メロスが激怒している表情が描かれた絵」を見て、
どんなシーンかを理解する。
そういった違いが小説とマンガにはある。
◾️マンガで真っ先に目に入るのはキャラクター
マンガは大半のコマに何かしらのキャラクターが映っている*1作品がほとんどなので、
単純にコマの一番手前に来ることが多いキャラクターについ目がいってしまうという側面もある。
小説と違って勝手に目に入るから読み飛ばしたり頭の中から意図的に消すことは難しい。
もしそのマンガ主役が不快だったり全く共感できない場合、一番目に入ってしまう「主役キャラクターが読者にとってストレスとなり敬遠される」といったことが起こっている考えられる。
逆の例として、キン肉マンを挙げてみよう。
この作品は連載時から非常に人気があったが、冷静にみると矛盾と大嘘のオンパレードだった。作品内で展開される荒唐無稽な理論や独特のシナリオ作りは「ゆで理論」と呼ばれファンの間で親しまれてる。
キャラクターが愛されていればちょっとぐらい内容がおかしくても愛される好例と言えるだろう。
◾️結論
「マンガのメディアの特性から読者の多くはコマに描かれたキャラを通して作品を読むことになるため、読み手の入り口となるキャラクターを一番大事にすべき。だからキャラクター第一主義は正しいと考えられる」
*1:
キャラクターを使わない作品・手法の存在
だからといってキャラクターがあまり強く描画されない漫画がないわけではない。
思い浮かぶ限りでも石ノ森章太郎氏が昔描いた作品には「詩の世界を表現した漫画」なんてものも存在する。(詳細、作品名は失念)
技法で言えば風景だけを描写をすることで、場面転換したり時間の流れを表現する手法が代表例になるだろう。
マンガにおいてキャラクターは大事だがキャラクターなしで出来ることも多い。
しかしキャラクター不在でおもしろい作品を作るのは非常に難しく、そういった作品が広く世に広がってるのを私はあまり見かけない。
やはり大なり小なり、マンガにおいてキャラクターの存在は不可欠だろう。